昨日は高校の同級生の通夜だった。享年37歳か38歳。がんだった。
「嘘だ。うそだ。うそ」と何度も口にしても、彼女の4歳ほどの娘と夫が、この世に残された現実は変わらない。
私が通っていた高校は、その地域では歴史のある進学校で、同級生はみな大学に進み、名の知れている企業に就職した。私だけが、20代を会社勤めしたり、辞めたり、海外放浪したり、原稿を書いたりを繰り返し、その後30代で起業して、とりあえず生きているような状態だ。参列者は、みな理系の技術畑の人間らしい、地味な風貌で、私が生きている環境にいる起業家たちのような、突き抜けた、目立ちたがり屋の雰囲気はどこにもない。亡くなった同級生も、その夫も、同じ高校出身で、大手企業に勤めていた。後輩も、同僚も、上司も、みな、一様に若い同級生の死を悼んでいた。
彼女も典型的な、この進学校出身者のパーソナリティを持っており、私が日本に亡命したミャンマー人難民と結婚したことをほとんど理解しがたいようだった。少し頑固で、とても美しく、しかし自分の美貌を活かした人間関係を築いているわけでも、キャリアに反映させているわけでもなかった。彼女は、自分の美貌にそこまで頓着していなかったかもしれない。
自分の勤めている企業への忠誠心が強く、ライバル社の商品は買わずに、自社商品を購入する姿を見たことがある。
この高校にいけば、大体の人間が、就職した企業がつぶれない限り、安泰の人生を送るものだといった雰囲気があった。私はそういう雰囲気が嫌いだった。ここになじめない自分も、学力が周囲に追いつかない自分も、規定路線の人生もいやだった。
彼女は私を少し批判しながら、眉を寄せて笑い、ずっと元気でいるものだと勘違いしていた。
一緒に通夜にいった友人が、私が死ぬ一カ月前に、もし私が自分の死期を知っていて、知らせることができたら、その旨知らせてほしいと言う。急に亡くなるのはさびしすぎるからさ、と。合掌。
(2017年8月1日 みやま さえこ)
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