ミャンマー人と結婚した日本人が、日本で生活しているという理由で、ミャンマーとほとんど関わりのない日常を送る。配偶者のミャンマー人は、たまに同胞との付き合いはあるけれども、そこに日本人のパートナーが出てくることはない。
日本の生活になじんでいるのだから、わざわざ家庭生活に「ミャンマーらしさ」を持ち込むことはない。
こういう異文化結婚の例は枚挙に暇がない。私自身、夫の同胞の配偶者が日本人のカップルで、家庭内にミャンマーらしさが持ち込まれたり、敢えて持ち込まれないことがあったりということを、結構見てきた。
もちろん、各家庭や各人の事情があるから、どういう文化を取り入れるのも各人の自由だ。経済的な不利益がもたらされるから、ミャンマーの要素を持ち込まないという家庭も見ているので、「各家庭で異文化出身の人々がいたら、平等に異文化を活かしあって生活するほうがよい」などと正義感ぶる気はない。
翻って自分の場合、夫は日本文化も好きで、私は東南アジアの雰囲気や文化が好きだった。だから私は夫の文化を活かして日本で生きてもいいし、完全に和風の生活を送ってもよいという「生活様式に関する選択肢」があるのだと、結婚して気が付いた。異文化の、他国の人と結婚して、他国の文化を家庭生活に反映するかどうかは、私の場合、結局は「自分がどういう風に生きたいか」という話だった。
どういう人生を送って、どういう状態なら幸せで、周囲をどのような環境にしていきたいか。
一人の人間が幸せならば、周囲の人間も笑顔になる。一人の人間が不幸であると認識していたら、周囲の人間はつらい気持ちになる。どの人も、自分の周囲を変える力がある。
「社会を変えたい」と言う政治家は多いが、結局は自分の生き様が、自分の住む地域、市を、県を、国を、世界をどういうふうにしたいかということにつながるのではないか。県や国や世界は大きすぎるかもしれないが、人間一人の可能性は、最終的に世界を動かす力を持っていると、私は信じている。
それで、私はどういう人生を送りたいかと考えたときに、
「日本の多文化共生に貢献したい」
という気持ちと
「異文化を楽しみながら、周囲の人々に役立つことをしたい」
という2つの考えが浮かんだ。
だから、夫がミャンマー人であるという特性を活かして、
できる範囲でミャンマーに関係することを始めた。
執筆やミャンマーコンサル会社「日本ミャンマー支援機構株式会社」の起業・経営は、
「ミャンマー人が日本社会に住み、仕事をして日本の役立つことが、ミャンマーの人々に経済的な豊かさをもたらす。逆に日本人がミャンマーに役立つビジネスを展開することで、日本人もミャンマー人も幸せになる」
という理想に近づくために行っている。
また、 仲間に恵まれて、日本でのミャンマー人定住支援や国際交流、国際協力活動を行うNPOリンクトゥミャンマーを立ち上げることもできた。設立1年が経とうとする今、会員やボランティア、役員や支えてくださる方々あわせて40人以上の人々とのつながりが発展しつつある。
NPOなど地域ボランティア活動で異文化交流イベントなどに参加する理由は、
「日本で外国人が住みやすく、日本にいる日本人が外国人を受入れやすく」
「日本で少しでも、ミャンマーのファンが増えたらいい」
という願いが込められている。
私が大学生時代の2000年代前半は、「NPO活動をするのは、専門知識を学んだ大学院出身の勉強ができる人だけ」というイメージが先行していた。でも、実際に日本で国際交流をする担い手は、学歴や特殊能力があるというより、数十年前に夫の海外赴任についていって海外生活の経験がある人や、ピースボートに乗った人や、日本にホームステイするアメリカ人を受入れた経験がある人など、ちまたにいて、海外との親和性がある人々が多かった。
ただ「夫がミャンマー人」というだけの人間でも、
国際交流ができるかもしれないと、こうした人々が教えてくれた。
仲間と共にNPOを設立したら、
異文化を日本に紹介する国際交流だけでなく、
発展途上の地域を支援する国際協力も、
「学歴がなくても、やり方を知ればできるな」と気が付いた。
「これまでの学歴や職歴や失敗歴を気にするより、今、ここで何かをやりたいと思ったことを、社会に貢献すべく実行すること」
が自分の周囲よい影響を与える。今までより良い価値を社会に提供する力になる。
現状を突破するには、自分の今の気持ちと、周囲の人々を信じて
行動すること。
当たり前かもしれないけれど、シンプルな大事なことに気が付いた。
過去の自分が足りなかったところはたくさんあり、
今の自分にも足りない部分がある。
でも、今、自分にできることは、ある。
こう思い続けることが大事です。
というわけで、序論が長くなりましたが、
ミャンマーの少数民族州ラカイン州に国際協力支援をしています。
今後もより支援をしたいと考えています。
私の夫はミャンマー・ラカイン州出身のラカイン人です。
ラカイン州都シットウエから車で30分くらい離れた場所の農家の長男です。
上昇志向の母と姉の策略で、地元から州都シットウエの学校に進学し、
ミャンマーの当時の首都ヤンゴンに移住してヤンゴン大学を卒業しました。
彼は地元であるラカイン州シットウエに帰っても、あまり景気のよい話を聞きません。宗教問題による経済の減退、同級生の死……仕事がなく、男性人がこぞって出稼ぎに出る地域です。
ミャンマーで2番目に貧しい州から出て、日本に来るきっかけができて、
日本で起業して生活する……そういうチャンスに恵まれるのは
ほんの一握りの人間です。
ラカイン州が豊かになることにつながることをしたいと思います。私の人生では、ミャンマーという国や異文化に触れることができ、いつもワクワクしています。なぜならミャンマー・ラカイン州出身の夫からさまざまな面白い文化を教わるからです。夫の出身州に何か、自分たちでできることで、役立つことをしていきたいと思います。
2018年4月1日に、横浜市、桜木町駅近くにある「横浜市市民活動支援センター」で、
「ミャンマー・ラカイン州タンドゥエ寺院学校 視察報告会」
を行います。
2018年1月に私がミャンマー、ラカイン州タンドウェにあるパレヤーダナー寺院学校を訪れ、神奈川県藤沢市の方々の寄付による鉛筆1080本をお届けしました。
そのときの様子はコチラ
そして、孤児院をかねる寺院学校にいる1000人以上の学生さんの様子や、
学校の校舎、宿舎の様子を見てきました。
1000人以上が学ぶための校舎がまだ十分にはありません。
校舎の窓は、ガラスをはめ込む予算がなく、ガラスのない窓があいた状態で
2階の教室で授業を受ける学生がいます。
こうした現状と、NPOリンクトゥミャンマーの
「校舎を増築して、親と離れて暮らすミャンマー少数民族の学生たちに
満足いく学習環境を提供したい」
という、これから実施する支援プロジェクトをご紹介したいと思います。
ミャンマーに興味がある
ミャンマーに支援したい
東南アジアの子どもの学習状況や教育に興味がある
ひとつでも当てはまるかたはぜひ、ふるってご参加くださいませ。
参加お申し込みはコチラのページの申し込みフォームからどうぞ。
もしくはinfo@npoltm.orgまで、1)氏名 2)メールアドレス 3)住所 4)電話番号をお書きの上、「タンドウェ視察報告会参加」というタイトルでメールを送信ください。
<視察報告会詳細>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4月1日 ミャンマー・ラカイン州タンドゥエ寺院学校 視察報告会開催!
ラカイン州タンドゥエ寺院学校の支援開始を念頭に、2018年1月、当会理事長が現地を訪問します。寺院学校の現状をご報告いたします。
東南アジアのミャンマーは、2011年の一部民政移管から勃興期を迎えています。しかし経済的に豊かになったのは一部地域にとどまっています。NPO法人リンクトゥミャンマーは、「日本からミャンマーに対して、非営利での支援を行いたいすべての方々」が参加できる途上国開発の場を提供したいとの願いから、2018年1月に理事長深山(みやま)ほか理事が、ミャンマー少数民族州ラカイン州タンドゥエ寺院学校に視察し、神奈川県で集めた募金による支援を行いました。そのご報告の機会を設けます。
ラカイン州の現在や今後のミャンマーを知るうえで、充実の内容です。ぜひご参加ください。
日時:2018年4月1日(日曜日) 14:00~15:30(予定)
場所:横浜市民活動支援センター 4階 ワークショップ広場
(神奈川県横浜市中区桜木町1-1-56 クリーンセンタービル4F)JR桜木町駅徒歩5分
●プログラム ・・・・・・・・・・・・・・
① ミャンマーの今(歴史・政治概要)
② なぜラカイン州を支援するか
③ ラカイン州タンドゥエ寺院学校とは
④ 2018年1月の支援報告
⑤ これからどのような支援が必要か
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●参加費 (当日お支払いください)
S席 2000円
(講師著書・ミャンマー粗品進呈)
一般 1000円
会員 500円
●お申込み:コチラのお申し込みフォームか、info@npoltm.orgまで、1)氏名 2)メールアドレス 3)住所 4)電話番号をお書きの上、「タンドウェ視察報告会参加」というタイトルでメールを送信ください。
これが、ミャンマーで学校校舎をつくる第一歩になります。
4月1日に、たくさんの方々とお会いできますことを
楽しみにしております!!
#ミャンマー #ラカイン州 #多文化共生 #国際協力 #NPO #NGO #リンクトゥミャンマー #ミャンマー教育支援
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