最近の若者は独身率が増えているし、結婚への希望もあまりない、とは、私の周囲でも散見する状況です。日本は明らかに、結婚への希望を抱かせない社会になりつつあります。
一つは、結婚すると何かを「あきらめる」という思いが当たり前のように定着していることにあるかと、個人的には感じます。
何をあきらめると思っているのか、私が思いつく限りで列挙します。
「あきらめる」→子どもがうまれたらキャリアを
「あきらめる」→自由につかえる時間と金を
「あきらめる」→家庭のために夢を追うことを
などでしょうか?
しかし、私は「自分の夢を追えない状況になる結婚しない」と決めていましたので、日本的な妻を求める方との結婚は望めませんでした。それは家事や育児に専念するという選択がはじめからないので、子どもが生まれて夢やキャリアを追うことは続きますし、そのための時間と金の投資に理解してくれる相手が必要でした。
とにかく、相手を見ないうちに、相手と出会わないうちに、相手と出会っていても、「あきらめる」のはどうかと、思うのです。
こういうことを申しますと、夫からは「日本のサラリーマンの働き方を見てみろ! 朝から晩まで働きっぱなしで、誰が家庭を見るんだ。誰かが仕事をセーブして家庭を見なければならない。お前は離婚される妻ナンバーワン」と言われます。そういう働き方がある状況も知っていますが。しかし、はじめからあきらめるのは違うのではないでしょうか。
アメリカのバイデン次期大統領の奥さんが、バイデンさんが副大統領のときも教員を辞めなかったと聞きました。「これだ~! 決して目だつ仕事でなくても、とにかくやめない! 休むときはあっても、やめるという選択肢排除」と個人的には思いましたね。
サラリーマンの方には分かりづらいかもしれませんが、私は自営業者なので、育休や産休がありません。自分で産休を決め、自分で育休を決め、自分の仕事をその間に誰かに頼む必要があります。
3人目の出産のときは、切迫早産で入院したので、急に出産となり、仕事の引継ぎがほとんどできませんでした。当時、一緒に仕事をしている夫は海外出張中でした。
その時は、出産3時間後で、人材紹介をやっている外国人求職者から「私のビザ、在留カードを取りに行きたいんですけど!」って携帯電話にかかってきまして、さすがに立ち上がって神奈川県のはずれにある病院から東京・品川の入管まで行けませんから、提携している行政書士に代行してもらいました。つまり出産後の育休は3時間しかなかった……。
自営業者は自由に育休を決められるんです。出産が重かったらどうなっていたんだって……。
こんな状況ですから、仕事をフォローしてくれていた部下には非常に迷惑をかけたという反省があります。そののちは、急なことがあっても対応できるような職場体制にせねば、と零細企業ながら体制整備に取り組んできました。
結婚、出産の在り方は千差万別です。 当人が納得する千差万別が受け入れられる社会が良いと思います。
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最近、2件の結婚の在り方といいますか、状況を見ました。どちらも、日本人とミャンマー人の結婚です。
ある日本人と外国人女性の結婚で、外国人女性は、結婚のために初めて日本に来るわけですから、日本のことがすべて分かるわけではありません。
子育ての仕方は、ミャンマーと日本では大分違います。ミャンマーでは親がつきっきりで面倒を見ますが、日本で忙しいサラリーマンの父は子どもの養育を妻に任せます。
そうすると、妻は「自分の国では夫も子どもの面倒を見るのに、日本では、なぜ妻だけが子どもを見るのか?」という疑問が湧きます。
ミャンマー人の家庭のしつけは厳しいです。それも日本人夫から見ると「携帯電話を禁じて勉強勉強と子どもに強要するのは厳しすぎる」と意見が合わないわけです。
自分の国にいない状況は、自分が優位に立つチャンスが失われることにもなります。
日本人夫は妻が日本で逃げられないと知っています。彼女は夫に頼って、扶養されて生きていますから。だから、夫の強気な態度を、子が真似して、母の言うことを聞かなくなるのです。
「女性のエンパワメント」やら、「女性活躍」やら、口で言うのは簡単。でも言っているのは政治家やら勉強のできる方々ばかり。実際に現場を見て、エンパワメントが必要な方のパートナーにそれを言えますか? 今年、私はそういう弱い立場に置かれた女性ばかりに出会っています。
もちろん、社会に対して「女性のエンパワメント」やら、「女性活躍」やらを標榜し続ける意義と必要性は認識しています。でも、それって小学校からとか、若い頃から認識や教育をしないと、もしかしたら生まれてから認識していかないと、性差の平等は成しえないのかもしれません。
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もう一つのケースでは、生活保護の外国人女性が、日本人の男性と結婚することになりました。結婚にともなう引っ越しのために、粗大ごみを捨てる電話ができないということで、私が代わりに区の粗大ごみセンターに電話をしました。
「イエーゲーテッター(ミャンマー語の冷蔵庫)がああ」と冷蔵庫の処分方法が分からないという女性。
区の粗大ごみセンターが一つずつごみの処分値段を言ったあとに、
「生活保護の方なんですけど」と言うと
「あ、生保なのね。別に申請が必要になります」処分代が安くなるということだろう。
そんな手続きをした後で、彼女に電話すると、
「冷蔵庫はミャンマーに船で送る手配をしました」だって!
彼女のミャンマーにいる家族に送った模様。
生活保護を否定しているんじゃないんです。でも、申請者が簡単に申請できると思っているとしたら、どうなのかな~と思ってしまうわけです。中流家庭で朝から晩までサラリーマンやって所得税も市民税も消費税も抜かれっぱなしの、可処分所得の低い日本人の税金がどう使われているの~って思いますよ。
だって彼女は、ミャンマーの家庭には家財を送っているんですから。
そして、教会経由で生活保護受給している方が散見されるのは、単なる偶然でしょうか??
生活保護の方を、一般の生活に戻すのは、なんと手間と精神力がかかることでしょう。
2020年の年末、私はその事業に取り組み、生活保護関係の支援をしている区役所の関係者を尊敬しました。
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バラバラな話になりましたが、愛があっても、なくても、この二つの結婚では、
最終的には日本でより良い生活をするために、成立した結婚と言えます。
それも一つの、もしかしたら今後日本社会で、ますます当たり前になってくる一つの
結婚の形になるかもしれません。
それぞれの家庭で、今より幸せになってくれるといいと思っています。一生女性のエンパワメントが無理かもしれない家庭環境にいる方にも、今より幸せになってほしいと願います。
そのためには、自分がいつでもエンパワメントされていなければなりません。つまり、男性上位の家庭にいる男性が、事業をやって本を出して生意気すぎて人生を楽しんでいる私を見て、何か小さな刺激をうけてくれればいい、と思っているのです。私の生意気すぎる姿を少しずつ見せて、「女性のエンパワメント」とやらを実行して見せていこうと考えています。
(みやま さえこ 2020年12月3日)
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