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小学校のPTAという雑多な世界

学歴、仕事の経験値、自活の術、友人関係の作り方、ボランティアに対する姿勢、ものすごい大雑把に言って性格、極論を言うと人生の姿勢、などなど同質の人がほとんどいないのが小学校の保護者が参加するPTAと言う場所ではないかと思ったりする。

この雑多な人々の中で、何か1つ同じことをやっていくと言う時に、よく思い出すのが、10年前に辞めたサラリーマン時代のことだ。

どうあがいても他人や集団についていくことができなかった自分の精神状態とか、気ままに生きている現在、我慢できない状況がどんなものだとか。あれこれ。

会社にいると、どうしても周囲の人の長所を見つけなければと言う強迫観念があった。それが10年も自営業やってしまうと、まぁ長所を見つけられたとしても、あの人はあの人だからと冷静に割り切って、あーまた話が合わないなぁと思って、結構あっさり終わってしまう。

こんな状態で1年間、小学校PTA本部役員をやったのだから、モラトリアムは果たしただろうと思いきや、もう1年、しかも会長をやってくれと言う電話がかかってくる。

電話をかけてきた人は、長年息子の同級生のママとしてお世話になっていて、話をしていると、PTA本部役員を決めるための指名委員の電話を無視し続ける保護者や、本部役員推薦書の書き方をそもそも間違っているケースや、ものすごい気遣いに溢れていて超多忙なのに役員を引き受けても良いと言う善良な方や、友達と2人でなら本部役員をやるけど、役職がもし変更されるとしたら友達と一緒に変更したいとか言うハイスクールのバイトレベルのことを発言する方やらがいることがわかる。

もうバラエティに富みすぎている保護者の様子を聞くと、私が例えばここで会長を引き受けたとしたら、「機会均等とは能力と努力が等しい際になしうるもので、あの人のママ友だから贔屓しろとか、私は何年間経験したからこの仕事は免除しろだとか、独自ルールは認めない。私のルールを聞かなかったら追放だッ」という中小企業のワンマン経営者型リーダーシップでコトに臨んでしまうに決まってると感じて、「一期1年。それで任期終わりが権力の惰性を防ぐよね」と、昨今の自民党総裁選でちょっと流行ったセリフをしゃれて言うしかない。

多様性のある社会を目指すと言いながら、あまりにも見てきた景色が違いすぎる人々と、労使関係ではなくボランティアでつながる難しさを感じて、秋、2021年が過ぎていく、と徒然なるままに。

2021年10月7日
みやま さえこ